■見習いトレーナーの奮闘記■

【アラバマ編】
#2: オブザベーション

1998年1月、インディアナ州立大からアラバマ大にトランスファー(転校)してきた私は、当初プログラムにアプライする時期を1999年に定めていました。しかし、運良くISUから多くのトランスファークレジット(ISUからUAに移る際に認められた単位のこと)を得ることが出来、そのおかげでプログラム受験に必要な科目を1998年の春学期中に全て取る事が可能となったのでプログラムへのトライアウトを1年早めることにしました。

私がトライアウトするためにはHAT258というアスレティックトレーニングのクラスを取らなければなりませんでした。 このクラスではテーピングとラッピングの実習をクラスルームで、そして実際に現場に出てアスレティックトレーナーとはどのような仕事なのかを体験する事になっていました。 クラスはまず半分に分けられ、最初のグループが最初の5週間を、あとのグループが次の5週間現場に振り分けられました。 さらにグループ内でも最初の半分はフットボールコンプレックス内のアスレティックトレーニングルームで、残りはコロシアム(体育館)内のアスレティックトレーニングルームでの実習となりました。 生徒たちは1週間に最低15時間のオブザベーションが課せられ、その時間配分は生徒が自由に決めることが出来ました。 私はなるべく早く、そして多くの人に名前と顔を覚えてもらうために毎日3時間ずつ月曜日から金曜日までをオブザベーションの時間に当てました。

【コロシアムのアスレティックトレーニングルーム】

最初の3週間、私はコロシアムのアスレティックトレーニングルームでオブザベーションすることとなりました。 ISUでオブザベーションを経験してきたとはいえやはり初めての場所へ赴く時は緊張します。 初めてアスレティックトレーニングルームに入った時の印象は「思ったより狭いな…」でした。それでもアスレティックのレベルはISUよりもはるかに上なので、活気の中にもどこか緊張感の漂うアスレティックトレーニングルームでした。

私たちオブザーバーがすることといえば、備品(テープ、アンダーラップ、ヒール&レースパットなど)の補充、リハビリ用具の整頓、掃除などという雑用ばかり。しかしオブザベーションの主な目的は「見る」事でしたから、例えばATCや既にプログラムに入っている学生トレーナーの巻くテーピングを見てみたり、どのような治療法があるのかや、どのようなリハビリのプログラムがあるのかを見たりと基本的なアスレティックトレーナーの仕事を垣間見る事が出来ました。 またアスレティックトレーニングルームをでて、実際に練習の場に居合わせてそこでどのような事をアスレティックトレーナーがするのかを体験しました。 私が体験したスポーツはジムナスティックと陸上でした。

私がこのオブザベーションで得(?)したなと思ったのはISUでの経験でした。 初めてトレーニングルームに入る他の生徒とは違い、私はいち早くオブザーバーとしてどのような事が出来るかをISUでの経験により察知する事が出来ました。 ISUとは違いここには頼る日本人は居なかったので、もしISUでオブザベーションをしていなかったら私は3時間ずーっと立ちっぱなしだったかもしれません(笑)。

【フットボールコンプレックスでのオブザベーション】

アラバマ大学のフットボール部は全米でも有名で歴史あるチームです。といってもそれを知ることとなるのはもっと後、実際このチームについて働き出してからの話ですが。そんな立派なチームの施設もこれまた立派。3面からなる全天然芝の練習場に屋内の人工芝練習場。またフットボール関係のオフィスが全て入っているコンプレックスはまるでプロのクラブハウスのよう。そんな建物の中にフットボール専用のアスレティックトレーニングルームはあります。アラバマ大学のカラーであるクリムソン(深紅)で敷き詰められた絨毯。ずらりと並ぶトリートメントテーブルとテーピングテーブル。そこにびっしりと埋め尽くされたテープやらプリラップの山。ISUとはスケールが違いすぎる・・・。

しかし、今はオフシーズン中。チーム合同の練習はなく、個人練習とコンディショニングのみ。週に1度だけ合同の朝コンディショニングはありましたが、際立ったチームの動きはなく、オブザベーションの半分以上は何もしないか、もしくはヒール&レースパッド(足首のテーピング時に摩擦を起こさないように足首に貼るパッド)をせっせと作っていたかだったような気がします。しかし、こんな状況下で私たちオブザーバーが輝いていた瞬間、それはテーピングの練習です。お金がある大学は凄いもので、いくらテープを使っても減らないのではないかというくらいのストックがありました。とにかくみんなで巻きまくりました。ISUでは考えられなかった事です。だって当時はたしか10ロール$15位で自費で買わされていたんですよ。この違いって・・・。そしてもっと信じられない事は、まあやっていたのは私だけですが、新しいテープを足首に巻くわけでもなく、ただ切るために使い切っていた事です(バジェットの少ない大学のATのみなさん、ごめんなさい)。いかに早く切れるかを練習してたんですが、今になって考えてみると物凄いもったいない事をしていたものです。

週一回の朝練は朝5時半位に集合で、私たちの仕事は主に水を選手に供給する事でした。どこのフットボール部に言ってもやる事は一緒です(苦笑)。この朝練で気づいたのはアラバマの選手のレベルの高さでした。といっても別にスキルプラクティスではなかったので、身体能力の高さ、とここでは言うべきでしょうか。驚くべき事に、このチームのラインマン、足が早いのです!! ラインマンは通常大きくて厚みのある体型(要するにデブ)で、私がISUで見てきたラインマン達はただのデブだったのですが、アラバマのラインマン達は凄く身体能力が高いのです。よって私は彼らを「早いデブ」と名づける事にしました(笑)。

その朝練ではとにかく必死で水をあげていたように思います。朝早くからどうしてこんなに張り切ってるんだっていうぐらい。勿論自分をアピールしなきゃ、という気持ちがあったというのもそうですが、そのコンディショニングの緊張した雰囲気に自然ときびきび動いていたのかもしれません。コンディショニングといってもアラバマフットボール部のコンディショニングですから(何度も言うようですが、その偉大さを知ったのはもっと後です)。

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