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ポピュラー音楽の流れの巻


そも工房庵主敬白


1・1

戦後の世界のポピュラー音楽を引っ張ってきたのはアメリカの音楽であることは間違いない。 それも、もともとは黒人音楽から発したジャズにその淵源がある。

1・2

ただ、その黒人音楽もメジャーになるためには白人に主題を乗っ取られるという歴史を繰り返してきた。
スイングという音楽は白人向けに洗練されたジャズとでもいうべきもので、楽しく明るくソフィスティケイトされたものだった。
そうした、人畜無害のフランク・シナトラに代表されるアメリカの良き家庭の音楽にあきたらず、反抗的な若者という世代は常に存在していた。彼らは密かに黒人達のセクシャルな音楽:リズム&ブルースに魅力を感じていたのである。

2・1

リズム&ブルースにあるブラックミュージックの直接的な香りを避けて、言い方を変えて生まれたのがロックンロールである。1956年になると、エルビス・プレスリーという大スターの登場により、ロックンロールは不良白人青少年の音楽になってしまった。

2・2

だが、プレスリーの兵役による退場から、またもやロックンロールは優しいアイドルポップスへと変貌していく。その時代の代表が、ポール・アンカ、コニー・フランシス、ブレンダ・リー等である。

3・1

そして、時代はさらに突然反転する。英国製のバンド音楽がアメリカいや世界を席巻したのである。それがビートルズである。そして、ローリング・ストーンズ、アニマルズ等であった。 アメリカ製では西海岸のビーチボーイズと女性黒人グループ:シュープリームスが頑張っていたが、主流は英国製を真似たエレキバンド時代となっていった。

3・2

その間、黒人音楽も変化していた。サム・クックに代表されるゴスペル音楽であり、またそれを包含し、ブルースとジャズのフィーリングも受け継いだ「ソウル」というブラックミュージックの隆盛であった。レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン、アイク&ティナ・ターナー等多士済々の面々が現れたのである。
モータウンとアトランティックというレーベルはこうしたブラックミュージックを生み出しつづけた。

4・1

60年代終わりには、反戦厭戦気分が高まり、それが若者達の反体制的な志向と結びついてボブ・ディラン、ジョーン・バエズ等を代表とするプロテスト色の濃いフォークソングが一世を風靡した。
これは、人種や肌の色の違いを越えて若者達を結び付ける役割を果たし、黒人音楽という特別なジャンルが消えていくかに見えた。

4・2

「フォーク」は、さらに過激な「ロック」に進化した。これは反体制というより反道徳的なイメージで、強く若者達の心を捉えた。中にはハードロックという優れた音楽性を標榜するグループも現れた。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、レッド・ツエッペリンからクイーン、エアロ・スミス、ボン・ジョビ、ガンズ・アンド・ローゼスに至るまでその種類は様々であるが、現代ポピュラーミュージックに与えた影響は計り知れない。

5・1

ロック時代が過ぎると、ダンスミュージックが盛んとなった。いわゆるディスコ・サウンドである。難解なロックの後は聞きやすいダンスミュージックなのであろうか。その中でも出色は、ジャマイカのボブ・マーリーの生み出したレゲエであり、これは後のパンクへと進化する新しい流れを形作った。

5・2

そして時代は融合というよりブラック・イズ・ビューティフルという様相を呈してきた。確かに、 ビッグアーティストと呼ばれる人には黒人系が多いのは事実である。
男性陣ではスティービー・ワンダー、ライオネル・リッチ、マイケル・ジャクソン、プリンス。
女性陣ではアレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、ジャネット・ジャクソン、マライア・キャリー。
これはブラックミュージックの伝統と黒人の持つ音楽性の豊かさを示している。

6・1

さて現在の話をしなければならない。今はラップやヒップホップを包含したニューR&Bの時代である。これも主導権を取っているのは黒人達である。パブリック・エネミーからウィル・スミスに至るものからジャミロクワイ、ボーイズUメン、TLC、アリーヤ、ローリン・ヒル等、綺羅星のごとく輝く現代ミュージシャン達は、我々を何処に連れていってくれるのであろうか?

6・2

その大きな担い手が今後もブラックミュージシャンであることは間違いなかろう。わが宇多田ヒカルもブラックミュージックの影響を強く受けており、日本の音楽もその中に飲み込まれていくのであろうか?