BACK


日本人の名前ローマ字表記の巻


そも工房庵主敬白


海外の友人から時々質問を受けるものに日本人の名前の問題がある。
日本人に対して呼びかけるとき、Family Nameが いいのか Given Name がいいのかということなのだが、まずローマ字表記されている名前自体がそのどちらかよくわからないというのである。
よくよく考えてみると、私にもわからない。
ローマ字書きするとき、姓―名が正しいのか、名―姓が正しいのか?
山本花子さんなら、HANAKO YAMAMOTO が正しいのか、YAMAMOTO HANAKO が正しいのか?
最近は YAMAMOTO HANAKO 型がよく見るような気がするが、以前は圧倒的に HANAKO YAMAMOTO 型だったように思う。しかし、もっと昔をさかのぼれば、歴史上の人物は YAMAMOTO HANAKO 型が多いようだ。 たとえば千利休は SEN NO RIKYU であって、RIKYU NO SEN とは言わないだろう。
うーむ、よくわからないなあ。
そこで、国の「言葉の使い方」を公式に考える場である国語審議会が最近この問題を取り上げたようなのでその文章を引用してみる。

 

この文脈に沿う限りでは妥当な意見である。
確かに、日本の現在の習慣では姓−名と書くのは正しい。しかし、もう一歩突っ込んで考えるならば、なぜ姓−名と書くのかという分析はされていない。なぜ、世界でも日本・朝鮮・ベトナム・中国あとハンガリーくらいしか姓−名と書く習慣がないのだろうか。
古くは、実在の最も古く確実な卑弥呼やヤマトトモモソソヒメを挙げてみてもわかるように、日本の古来の習慣が姓−名であったという確証はない。多分に推測だが、当時の日本の置かれた状況から見て、中国の習慣を真似して取り入れた可能性が最も高い。中国の影響下にあったという意味では、朝鮮・ベトナムも似たようなところだろう。そこには、個人よりも家族=家名を大切にする文化圏の存在がうっすらと浮かび上がってこないだろうか。(住所の表記でも似たような、大きな府県名から書くか、小さな個人の番地から書くかという順番の違いの習慣が見られる。)

明治以降の欧化政策の中で、世界の習慣を真似て、今度はローマ字での名−姓表記が進められた。中国や朝鮮(韓国)ではそこまでの欧化政策はとらなかったわけである。そして、今日にいたって日本では、ローマ字での姓−名表記が国語審議会により「望ましい」という表現で逆転し進められることになった。
結局、なんでも世界のいいものを取り入れようとする日本人のあり方(猿真似とも言われるが、それが日本人の長所であるか短所であるかは別問題である)と、個人よりも家を大切にするあり方(家父長的な意味と儒教的な意味を含めたあり方)との間で、日本人が揺れていることがわかる。

一般の人にとっては、これまでそんなに使う場面が少なく、どうでもいい問題のようだが、最近は電子メールのアドレスの書き方に各人が選択を迫られる場面が生じている。
例えば山本花子さんなら会社のメールアドレスを、h-yamamoto@**kaisya.co.jp とするか、 Yamamoto-h@**kaisya.co.jp とするかである。国語審議会によれば YAMAMOTO_Hanako@**kaisya.co.jp というのもおすすめらしい。
とはいうものの、「望ましい」というだけであるから、まあ結局は個人の趣味の問題となるわけだが、外国人にすれば、ますます混乱するだろうなあ。日本人でも、例えば「甲にしき」さんなんか、nisiki-kouと書かれれば、姓と名の区別が簡単にはわからなくなりそうだねえ。