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箸の話の巻


そも工房庵主敬白


「はし」という言葉は不思議である。
関西と関東ではアクセントが違い「箸」と「橋」と「端」の意味が混同したりする。
ただ、思うのは「箸」、「橋」、「端」も本来の意味的には繋がっていたのではないかという気がするのである。
物の先端を端といい、その端を掛け渡すものが橋であり、それが食べ物の場合は箸になるのではないか。 直接的にではなく、間接的に物を掛け渡すことにより結ぶのが「はし」なのか?
あるいは、鳥が嘴でついばむ形から「くちばし」=「はし」という連想も可能なような気もする。

その昔、日本では箸は一本で中央でくるっと曲げられたもの、つまりはピンセットのようなものであったらしい。竹を加工したものなら可能な形である。
火箸ではいまでもそんな形の金属製のものがあるではないか。 それが二本になり箸になったのであろうか?
まあ、そんなことはともかく、現在の食べ物に関する「箸」のことである。

箸を使う民族は、主に中国、朝鮮、日本、ベトナムであるが、麺を食う場合に限り、モンゴルや東南アジアの諸民族でも箸を使う場合がある。
レンゲやスプーン的なものを使う割合は、東南アジアが最も多く、ついで中国、朝鮮、そして日本は非常に少ない。
これは、米の粘性が関係しているように思う。つまりジャポニカと呼ばれる粘りのある米は箸により容易に食されるが、インディカ米はさらっとしており、箸より手やスプーンで食するほうが容易なのである。
また、全ての食材を小鉢によそって、配膳して箸で食するように工夫されたのが日本食である。例外的に大皿に盛られた料理も、箸で食べられるよう既に切り分けられている。
そのため、庖丁を初めとする調理用具も色々細分化され、繊細に工夫して調理され、食器も様々な形が用意される。中華料理のように獣類が原形で食卓に出され飾られたり、その場で切り分けられたりすることはない。全て箸で食べられる形で細かに供されるのである。

ご飯や丼類も手で持って口に近づけ、箸でかき込むようにして食う。 汁椀類もスプーンですくって飲むのではなく、椀を口まで持ってきて、箸で添えて中身を選んで飲むのが日本流である。(これは国によっては非常に下品なマナーらしい。)
まさに日本食は箸の文化なのである。

ところで、問題は魚である。魚だけは「おかしらつき」という形で出される場合が多い。これを箸で上手に骨をはずして食べるのが日本人の箸使いの技術の真骨頂である。
魚だけは箸で食べきれるからこそ原形で出されるのであろうか?
あるいは、獣肉食・遊牧民族ではなく、海洋民族たる日本人の魚に対する親和性から来るものであろうか?
新鮮な海産物を生で食うことに関係しているのかも知れない。
宗教的なこともあるのだろうか?
興味は尽きないが、不思議なものである。

もっとも、最近は魚を箸で食べる技術も衰退してきている。
スーパーの魚は「切り身」が主流となってきた。 人工的な都市生活では、合理的で簡単な食生活となるのはやむを得ない。 経験的な自然が失われ、切り身化しパック化した文化が走り出す。
また、中途半端な和製洋食といえるオムライス・カレーライス・ハヤシライス類や焼き飯・チャーハン・ピラフ類は、スプーンで食べるのが普通になって来た。(蕎麦屋のカレー丼は未だ箸で食べるようだが)
麺類もカップヌードルのようにフォークで食べるケースも多い。
うーん。日本の箸文化は徐々に侵食されつつあるようだ。
庖丁・まな板の無い家庭は既にあるそうだが、ひょっとして箸も使わない家も出てくるやも知れない・・・・

確かに幼児でも使えるスプーンは、最も簡単で便利な用具だが、それだけで全て食べる料理というのは・・・・なんだか非常に味気ない気がするなあ・・・